ホットミルクに角砂糖

Twitterにて山波 鈴(@yamanami_suzu)という名前で140字小説を投稿しております。少し長い文章や日常のお話など、いろいろと書きたくてブログを始めました。内容は基本的にTwitterのフォロワー様向けですが、どなた様もどうぞお気軽に覗いていって下さいませ。

「死者のためのミサ」エピローグ~平穏を~

お待たせしました。これにて完結、エピローグです。概要やこのお話を書くに至った経緯は、お手数ですがプロローグをご覧下さい。

 

 

「楽しかったわね」
ここは駅。帰りの高速列車を待ちながら、シェーンがそう声をかけた。
「自分はもう二度と経験しなくていいです」
シェーンが声をかけた相手、ロイはげっそりとしてそう答える。昨日オリヴィアとウィルが舞踏会から帰ってきた時、シェーンとロイは既に自分たちのウィークリーマンションへと戻っていた。けれども帰ってから直行したらしく、夜中ウィルはシェーンたちに燕尾服(と蝶ネクタイ)を返しにきた。睡眠が何より大切なロイは、生活リズムを狂わされてご立腹という訳だ。演奏会は無くなっても約束の一週間は過ぎる訳で、こうしてシェーンとロイはユルバンを去る時が来た。因みに燕尾服はそのままズーデンへと丁重にお返しした。
「今度さ、カスターニャ市でお祭りやるんだって。行ってみない?」
シェーンはいたずらっぽくロイに微笑む。
「また旅行ですか……自分ら学生なんですよ」
ロイはまだご機嫌斜めなようで、むすっとしながら答えた。
「ほら、でも、カスターニャ市って、ウィルさんとオリヴィアさんの住んでる街らしいよ? 行ってみたくない?」
「行くなら卒論ちゃんと書いて下さいね」
「いいの!?やったー!卒論ちゃんとやりまーす」
調子よく答えるシェーンに、ロイもようやっと微笑む。
「就職先がやっと見つかったのに、ここで卒業出来なかったら笑えないなと思っただけです」
シェーンは大学4年生。単位もお金もギリギリで生き続けるタフなガールであった。
「そうね。最後の年に、面白い思い出が出来たね。新しい友達にも出会えたし?」
「シェーンさんって本当に謎のコミュ力ありますよね……」
二人は同じ合唱団の仲間に続いて、高速列車へと乗り込む。小さな窓から見えるのは駅の喧騒ばかりで味気ない。
「さよなら、ユルバン」
シェーンが優しく呟く。合唱団の面々を乗せた列車は、ゆっくりと走り出した。

「なんだかんだ楽しかったわね」
ここも駅。帰りの列車に乗るため、ホームで待っていたオリヴィアがそう言った。
「もうこりごりだ」
素っ気なくウィルが答える。そういえばこの旅行中、ウィルは振り回されっぱなしだったのかもしれない。オリヴィアのバックの中で大人しく収まっているウサギのぬいぐるみが、心なしか動いたような気がする。
「今度は落ちるなよ」
ウィルがぼそっと呟いた。ウサギのぬいぐるみことプリンセス・トルタから殺気が発せられ、列車に乗ってコンパートメントに座ったら速攻殴られることをウィルは察した。
「また、会えるかしら。シェーンさんとロイさん」
「冗談じゃねぇ。じゃじゃ馬娘はお前一人で充分だ」
「あなたって本当に……」
遠くを見るように目を細めて、出会った二人について思いを馳せていたオリヴィアは、ウィルの悪態にげんなりする。
「どうしようもない人ね」
その言葉とは裏腹に、華やかな微笑みを浮かべるオリヴィア。思わずハッとしたウィルだったが、次の瞬間には我に帰って列車に乗り込む。
「ほら、行くぞ」

オリヴィアとウィル(とプリンセス・トルタ)、それからシェーンとロイの不思議な一週間は、こうして幕を閉じたのであった。

「死者のためのミサ」7.楽園にて

大変お待たせしました。7話です。作品についてやあらすじなどは、お手数ですがプロローグをご覧下さい。
 
 
 
 
「……整理しましょう」
 いささか疲れた様子の溜め息と共に、シェーンがそう言い出した。
「まず、夜な夜な聞こえてたパイプオルガンは?」
「本当にユルバン公の幽霊だったみたいですね」
 平板な調子でロイが答える。
「なんでパイプオルガンでフォーレクなんか弾いてたのかしら」
「ウィルさんの話では、理由はわからないとのことでした。『ただの暇つぶしじゃねぇ?』と言ってましたが、少なくとも”呪い”やなんかの物騒な理由ではなさそうですね」
「じゃあ本当に、自分の命日が近くなってうっかり”出て”きちゃったユルバン公の幽霊が、とりあえず記憶を頼りに知ってる教会まで行って、自分の好きだった曲を弾いちゃったりして遊んでただけ、ってこと……?」
「そうみたいですね」
「そんなんアリかよ」
「だって昨日ウィルさんがそう言ってたじゃないですか」
 思わずガックリとした突っ込みを入れてしまったシェーンに、ロイが冷静に返す。
「昨日、ねえ~」
「ユルバン公、成仏してよかったですね?」
 ”ユルバン公の呪い”と呼ばれる騒ぎ。今は無人の旧教会から、オンボロのパイプオルガンの音が聞こえてくる。「レクイエム」の音が、1日1曲ずつきっちりと。その騒ぎの舞台となった街はずれの旧教会に、シェーンとロイが侵入したのは昨日の夕方だ。
「成仏したの!?ホントに!?だって教会に足跡あったよ!?
「あれはウィルさんとオリヴィアさんのだったじゃないですか。他に人が入った形跡もありませんでしたし」
「じゃあ……オルガン!パイプオルガンの送風装置はなんで動いてたのよ!?」
「それは自分も知りません。ウィルさんが『幽霊には力を持ってる奴もいる』って言ってたから、多分そういうことなんじゃないですかね」
 昨日シェーンとロイが旧教会で歌った後、パイプオルガンは一切鳴らなくなってしまった。そしてウィルにことの顛末(であろうこと)を説明してもらい、4人は帰路についたのだ。そして翌日に当たる今日、旧教会のパイプオルガンは最後の曲を奏でない。昨日既に演奏されていることを、果たして知るのはこの街の住民の内どれほどか。
ラテン語って、すごい力を持ってるのね?」
 昨日シェーンとロイが歌ったレクイエムはラテン語の曲だった。ギリシャ語も少し入っているとかなんとか。まぁ詳しいことはシェーンもよく知らない。
「わかりませんよ?案外自分のオルガンに、歌がついたから満足して成仏したのかも。ラテン語の歌が魔力を持って、幽霊を成仏させたんじゃないかもしれませんね」
「う~ん、少なくとも……ユルバン公の追悼イベントは中止になっちゃったわよね。呪いや、祟りや、恐ろしいことは何にもなくて、街は勝手にびびってイベント中止、子孫は命日とか何にも考えず今夜舞踏会を実施、本当にいたのは、愉快な幽霊だけってこと?」
「そういうことになりますね」
「そんなことのために、わざわざユルバンまできた私たちはお払い箱ですか!!すんごい平和なオチで事件は解決したけど、本番は復活しない!!」
 歌う機会を奪われて怒り心頭のシェーンだが、一方ロイはいっそ冷静を通り越して楽しそうですらある。
「まあいいじゃないですか。自分たちのコンサートが中止になって、いいこともあったでしょ?」
 ロイの言葉を受け、シェーンも機嫌を直してニヤリと笑った。
「そうね、コンサートも今夜、舞踏会も今夜じゃ、ズーデンの燕尾服を借りてくるなんて不可能だったもの。……ねぇ?プリンセス?」
 シェーンがものすごく悪そうに話しかけたのは、そう、プリンセス・トルタ。可憐なウサギのぬいぐるみは共犯者の笑みを(その顔でどうやったのかわからないが)浮かべると、ベッドの上でもぞもぞと動き続ける何者かの口を塞いでいたタオルを外す。
「こんのウサ公!」
 悲しいかな罠にかかったウィルは、苦し紛れに叫んだ。ちなみにここはシェーンとロイのウィークリーマンションではなく、ウィルとオリヴィアのホテルである。オリヴィアは今夜の舞踏会に向けて既に発っており、とうとう説得できなかったウィルが部屋に残っていたのだった。なんの前触れもなくプリンセス・トルタが部屋の鍵を開けると、突然シェーンとロイが襲撃してきたのだ。不意を突かれたとは言えウィルがこうして手足を縛られ拘束されてしまったのは、主犯がシェーンだったことが原因だった。ウィルはシェーンがただの人間であることをよーく分かっていたし、そうすると自分の保護者であるエドガーに叩き込まれた「女性には優しくしなさい」という言葉に何となく逆らうことができず、シェーンを悪魔と思って反撃することもできなかったのだ。意外にも紳士な祓魔師である。
「まあ、諦めて下さい。こうなったら、この人は止まりませんよ」
 ロイが相変わらず平板な調子で言ったが、コイツ絶対楽しんでやがる。ウィルは確信した。
「ふっざけんな!なんで俺が……ちょっ、おい、うわ、やめろ、やめろおおおおおおお!!!」
 ウィルの悲鳴が、部屋に響き渡った。
 
 
 
「……ふぅ」
 オリヴィアは溜め息をつく。華やかな舞踏会のために誂えた、淡いピンクのイブニング・ドレス。その裾がふわりと揺れても、彼女がたった一人なのは変わらない。結局ウィルを説得し損ね、代わりの相手も見つけられず、一人で舞踏会にやってきたオリヴィアは、もう長いこと壁の花と化していた。一人で行ってもまさか踊れないということはないだろう……と、思っていたのだ。しかし。誘われない。全く誘われない。ダンスに、誰にも、誘われない。最初にごく簡単に挨拶をしたユルバン公爵でさえ、オリヴィアと踊ることはなかった。魅力が無いから?社交界で相手を探すには年を取りすぎた?それとも単に、今まで顔を出してこなかったせいで知り合いがいないから?いや、もういい。考えるのはやめよう。オリヴィアは庭へ出て、小さな噴水のそばを散策した。踊りつかれたのか同じように庭を散策する人、出会った相手を口説こうとホールから連れ出してきた人、様々だったが庭では踊らないのはオリヴィア一人ではない。少し気持ちが紛れて、オリヴィアは屋敷の明かりが噴水に反射する様を眺めていた。
 すると突如ホールがざわめいて、庭の人々も何が起きたと屋敷へ戻っていく。完全に乗り遅れたオリヴィアであったが、却って誰もいない庭が心地よいような気がして、噴水のそばに留まった。しばらくして弦の調律の音が聞こえてきて、次がラストダンスなのだと悟る。静かな笑みを浮かべて、オリヴィアは諦めた。
「なに?お前ぼっち?」
 背後から声を掛けられ、びくっとしてオリヴィアが振り返る。するとそこに立っていたのは、燕尾服に身を包み、サングラスもせず赤い目を晒したウィルだった。
「ウィル……」
「あれ?お前、白いドレスなんか着てんの?」
「これはピンクよ。暗いから白く見えるだけ。一度見せたような気がするけど、あなた全く覚えてないのね」
 とぼけたようなウィルの調子。一瞬でも見惚れたことが悔しくて、オリヴィアは嫌味を返す。ちょうどそのとき後ろから柔らかな音楽が聞こえ、ホールが一層賑わった。
「まあいいや。どうぞ?じゃじゃ馬娘」
 差し出された手に、オリヴィアはびっくりして尋ねる。
「あなた……これ、ラストダンスなのよ。わかってるの?」
「間に合ったってことだろ」
 ウィルの顔や手に小さなあざやひっかき傷を認め、オリヴィアは更に首をかしげた。だが、知ってか知らずか余裕たっぷりなウィルを癪に思い、オリヴィアは手を取った。
「お願いします。ろくでもないエクソシストさん」
 ウィルがそっと手を引き、二人は踊り始める。
「だから、エクソシストじゃねぇよ」
 誰もいない庭で、たった一組のラストダンスだった。ダンスホールのざわめきも明かりも窓を一枚隔てて遠く、淡いピンクのドレスはほとんど白くひらめいた。

「死者のためのミサ」6.解放せよ

お待たせしております。6話です。概要やあらすじは、お手数ですがプロローグからご覧下さい。

 

 

 

 

 シェーンがウィルとオリヴィアのそれぞれに会って話をした、その次の日のこと。オリヴィアはすっかり忘れていたことを思い出した。ユルバン公爵家の舞踏会である。プリンセス・トルタの失踪やシェーンとロイとの出会い、”ユルバン公の呪い”騒ぎで忘れていたが、公爵家の舞踏会は明晩に迫っていた。街は”呪い”で大騒ぎ、追悼式も中止となったが、あのイベントはユルバンという街企画・運営しているもので公爵家が主催しているのではないらしい。今回の舞踏会はユルバン公とは特段関係無いこともあり、公爵家は舞踏会を決行することにしたらしい。オリヴィアにしてみれば、祟りだなんだと先祖が取り沙汰されているときに社交のためのパーティーを開くだなんて……と疑問に思うところもあるのだが。とにかく中止にしてくれないのであればオリヴィアは行くしかない。しかしこれも忘れていたことではあるが、オリヴィアのパートナー候補はすっかり舞踏会に行く気をなくしていたのだった。
「ねぇ、やっぱり……ダメ、よね」
「何の話だ。主語がねぇ」
 ゆっくりと尋ねたオリヴィアを一刀両断したウィルは、いつものことだがな、と心の中で付け加える。ウィルの考えるオリヴィアの悪い癖は、会話に度々主語が抜けてしまうところだった。……あとはまぁ、嘘が下手くそなところ?ウィルはそこまで考えて、オリヴィアに視線を向ける。
「毎日毎日、あのオルガンはいつまで鳴るんだ。レクイエムってクソ長ぇの?」
「えっ?」
 赤い、赤い瞳。サングラスを外したウィルの顔がこちらを向いて、赤いその目にオリヴィアの真っ赤な夕暮れに自分が一人佇んでいるような気さえして、オリヴィアはまじまじとウィルを、その瞳を見つめてしまった。
「……さあ、昔聞いたときは確かに長く感じたわ。でもそのときは子供だったからかもしれないし」
 幾分間をあけたにも関わらずはっきりしない返答になってしまったが、それでもオリヴィアは返事をした。
「ふーん」
 自ら聞いた割にはつまらなそうなウィルの反応。だが話はそこで終わらなかった。
「じゃあ、行ってみる?」
「あなた、私が今何に悩んでいると……いいえ、何でもないわ。呆れた。」
 オリヴィアの溜め息に、ウィルはニヤリと笑いを返す。

「決行は今夜だな」

「はい?」
 ともすればわざとらしいほどに疑念を込めた顔と声で、ロイはシェーンへと聞き返す。
「決行は今夜だな!」
同じ言葉をシェーンは繰り返す。今は穏やかな昼下がり。二人の部屋でいろいろと並べながら、シェーンは張り切った様子だ。
「何をするつもりなんですか」
 ロイはほとんど一日中過ごしている彼の安住の地、ベッドの上から問いかける。
「なんもしないって!ただ行って、ちょーっと聞いてくるだけ」
 シェーンは懐中電灯や地図、それに何故か楽譜などを確認し、リュックへと詰めていく。午前中忙しそうに買い出ししていたのはこのためか。いや、そもそも昨晩、ウィルやオリヴィアに会ったのだと言いながら考え込んでいたときから、彼女の壮大な暇つぶし計画は始まっていたのかもしれない。
「何故楽譜を」
「だって、パイプオルガンだけじゃ、今どこを弾いてるのかわからないから」
「それで決行は今夜ですか」
「今夜っていうか、いつも夕方の鐘のときに聞こえてくるから、もう少ししたら行くわ」
 あっさりとそう言い放つシェーン。基本的にシェーンが何をしようと、ロイはじっと動かないことをよく知っているからだった。シェーンが包丁で指を切ったときも、微動だにせず安住の地で寝転んでいたのにはさすがに腹が立ったが……まあ、今はそんなこと関係ない。
「旧教会の跡地まで行くんですか」
「うん。遅くなるかも。早く帰ってくるかも。」
いささか雑な返答をしたシェーンの後ろで、ロイがもそもそと着替えを始めた。シェーンより手早く出掛け支度を済ませたロイが、黙ってシェーンの後ろに立つ。
「ど、どこ行くの?」
「シェーンさんと一緒に行こうかと」
「それホントに言ってるの……?」
「まあたまには」
さあ、遅れますよ。そうロイに促され、シェーンは部屋を出ると鍵をかけた。
夕方の鐘までは、まだ少し時間がある。二人は旧教会跡地、つまり例の廃教会を目指してのんびりと出発した。
「窓閉めたっけ」
「元から開けてないですよ」
「カギ閉めたよね?」
「シェーンさんが閉めたでしょ」
「いや、なんか不安になってきちゃって」
 二人は歩きながらフォーレの「レクイエム」を復習する。レクイエムというのは一つの作品ではあるが、その中身は何曲もある組曲の形式をとる。フォーレが作曲したレクイエムは全部で七曲あり、今までの”呪い”騒ぎではきっちり一日一曲演奏されているようだ。ようだ、というのは、パイプオルガンのパートだけでは、やはりイマイチ判断がつかないからであった。しかし一日一曲の計算でいけば本日は六曲目が、そして明日の夕方に最後の曲が演奏されるはずであった。
「ところでシェーンさん」
「なんだねロイよ」
「なんでズーデン先輩の燕尾服を持ってきてたんですか?」
「持ってないよ?」
「いや、さっき持ってきて部屋に置いといたじゃないですか」
 ズーデンというのはシェーンやロイと共にユルバンを訪れている合唱団の一員で、ロイをはるかに上回る身長と渋い低音の声、それからちょっぴり赤いほっぺ(シェーンのイチオシポイントであるらしい)が特徴の好青年だ。今日の昼ごろ買い出しから帰ってきたシェーンは、燕尾服一式を持っていた。ロイが「それはどうしたのか」と尋ねたら、「ズーデンから借りた」のだと答えていた。
「あれはね、まぁ、明日用?」
 シェーンの反応は曖昧だった。
「明日?」
「明日になればわかるって。あ、ロイ、明日蝶タイ貸して」
「はあ、どうぞ」
 彼女に燕尾服が必要な用事があるとは思えないが、ロイは承諾した。元々は明日行われるはずだった本番の衣装として持ってきたものだ。つまりは、燕尾服に関して言えば、ロイも持っている。それをどうして、わざわざズーデンのものを。しかも蝶ネクタイだけはロイのものを借りるという。ロイが混乱している内に、二人は廃教会へとたどり着き、おしゃべりはそれまでとなった。
 その教会は中世から存在している古いものだったが、その古さゆえにほとんど崩れかかっていると言ってもいいくらいにボロボロだった。恐る恐る中に入ってみると、ホコリだらけではあったが、意外にも雨風をしのげそうな建物ではあった。
「とにかく、誰かが弾かなきゃオルガンは鳴らないわ」
「ねぇシェーンさん、ユルバンの幽霊に足はありますか」
「は?」
 ロイに問われ足元を見ると、ホコリだらけの床には足跡がついていた。それはあっちへ行ったりこっちへ来たりしていたが、パイプオルガンへと続く階段の方へも伸びていた。
「足のある幽霊が、入り浸ってるのかもしれませんね?」
「バカおっしゃい。誰かが出入りしてるのよ。生きている人間が」

 次の瞬間、ボーッとパイプオルガンの音が響き渡った。

「「わあああああああああっ!?」」

 二人は叫び、反射的に上を、パイプオルガンの奏者席を見た。すると、いたのだ。さっきまで誰もいなかったはずの奏者席に、黒い後ろ姿が……と思うと、その隣にも人影がひょっこりと現れた。
「シェーンさん、ロイさん!」
「オ、オリヴィアちゃん!?」
 その人影が発した声に、シェーンは昨日まで「さん」付けしていたことも忘れて声をかける。なるほどさっきまでだれもいなかった訳ではなく、ウィルとオリヴィアがしゃがんでいたので見えなかったのだった。シェーンとロイは階段を昇らず、祭壇のあたりまで進んで上を見上げながら話した。
「来てたんですか」
 ロイが声をかける。
「暇つぶし。本当に音が鳴るんだな、コレ」
 ウィルが応じる。
「いや、パイプオルガンはそこを弾いただけじゃ鳴りません。空気を送らなくっちゃ。送風装置が機能しているとは思えないのに不思議だわ」
 シェーンが疑問を口にする。
「私たちが到着したときに一通り見て回りましたが、他には誰もいないようでした。それどころかもうずっと、人が出入りしていた様子はありません」
 オリヴィアの報告。それに答えようとシェーンが口を開いた、そのとき。教会全体に響くような轟音が音という音を塞いだ。
「ちょっと、ウィルさん!?」
「俺じゃねーよ!」
 やっと声が届くようになりシェーンが困惑しながら叫んだが、答えるウィルも同じくらい困惑していた。やりとりの間も音は止まらない。パイプオルガンはひとりでにリズムをつけ始め、何やら曲のような様相を呈してきた。外からは鐘の音も聞こえてくる。
「始まった!今日の演奏が始まったんだよ!」
 オリヴィアの腕の中から、プリンセス・トルタが叫ぶ。
「でも、誰もいないのに!」
 演奏に負けじとオリヴィアが言った通り、奏者席には誰も座ってはいなかった。目に見える奏者は、誰も。
「ど、どうすればいいの!?」
 シェーンはウィルに向かって叫ぶ。ウィルはちらっと奏者席を見たが、一瞬で判断した。
「これは悪魔じゃない!そんなに悪さもしちゃねぇし……だから、お前らがやれ!」
「はぁ!?」
「俺にもやり方は無くはないが、お前ら、この曲わかるんだろ!?」
「何を言ってるの!?」
 混乱するシェーンにウィルは尚も叫ぼうとする。しかしそれより先に、ロイがシェーンのリュックを開ける。
「ロイ!」
「シェーンさん。早くしないと曲が終わっちゃいますよ」
 ロイはシェーンのリュックから引っ張り出した楽譜をめくる。
「今日は六曲目、でしょ?」
 そして自分のカバンをどさりと床に下ろすと、息を吸って歌いだした。

 ロイの歌声はまるで液体のような密度がある。不思議な声だ。そしてひとところに留まらず、ゆらゆらと揺れる水のような声だった。その声で高く、低く、パイプオルガンについていくように歌う。ロイの歌にハッとしたシェーンは、自分も同じようにリュックを下ろすと、楽譜を覗き込んだ。
 シェーンのピンと張った弦のような声が、普段の彼女からは考えられないほど低く、導くように歌い上げてゆく。一番響く立ち位置を見つけた二人は、死からの解放を願う歌詞を歌う。
 二人の声が同じ旋律を歌う。たった二人ではパイプオルガンの轟音に適わないと思っていたが、そんなことはなかった。二人とも歌声はよく通るほうであったし、それにパイプオルガンの音も、心もち小さくなった気がした。

 曲は静かに終わった。二人はほっと息をつき、プリンセス・トルタとオリヴィアの拍手が降ってくる。しかしほどなくしてまた鳴り始めた音に、シェーンとロイ、ウィルとオリヴィアは驚いて顔を見合わせる。
「二曲目!?嘘でしょ、だってこれまで……」
 シェーンは言いかけて止まった。ちらりと奏者席を振り返ると、ためらうことなく前へ出る。この曲は女声の旋律から始まるのだ。

 天使の旋律と思えるほどの甘やかなメロディーにできるだけふさわしくなるよう、シェーンはホコリっぽい空気を必死に吸っては歌う。ユルバン公の時代では女声ではなくボーイソプラノだったかもしれないが、今この場でこれだけの高音が出て、この曲を歌えるのはシェーンだけだ。シェーンは歌った。ボロボロの教会が彼女のホール、幽霊のパイプオルガンが伴奏だ。しかし、彼女はそれでも一人ではない。ロイの声が優しく合流し、二人の歌はゆっくりと高音から低音へと降りてくる。そう、ちょうどいい共演者もいる。そして、ウィルとオリヴィア、プリンセス・トルタが観客だ。今までで一番奇妙なコンサートが、終わろうとしている。

 二人が声をそろえて最後の言葉を歌った。するとパイプオルガンも「チャーン」と柔らかな和音を二人の声に添えて曲を締めた。
「やったじゃん」
 ウィルがこちらを見下ろして言った。廃教会のパイプオルガンは、その後いくらいじっても、もう音は鳴らなかった。

「死者のためのミサ」5.神の子羊

遅くなって大変申し訳ありません。5話です。概要やあらすじなどは、お手数ですがプロローグをご覧ください。

 

 

 

 

「ねえ、ねぇったら!ウィルさん、ですよね?」
 明るい往来、弾んだような高い声にウィルは嫌々振り返る。
「あんたかよ…」
 ウィルにいかにも嫌そうな態度を取られて、最初に声を掛けた方は片眉を跳ね上げて不満を示した。だが不満は言わず、女はそのままウィルに駆け寄る。
「シェーンです。覚えてます?」
「一応な」
 一応、と言われても一向に傷付いた様子も見せず、女…シェーンは明るくウィルに話しかける。
「今日はオリヴィアちゃんはご一緒でない?」
「ああご一緒でないね。あいつにご用ならどうぞお引き取りを」
 ウィルは嫌味たっぷりに言うが、追い払うような素振りは見せない。シェーンもそれ以上はオリヴィアについて言及せず、平然とウィルについていった。
「あんた……変だな」
「ウィルさんよりはまともだと思ってます」
 二人は軽口を叩き合いながら、ぶらぶらと市場を練り歩いた。シェーンはときどき鼻歌まじりでいかにも楽しそうだったが、ついには小声で口ずさみはじめる。
 
「何て歌?」
 シェーンの声は弦のようにピンと張っていて、小声でもよく響く。ウィルは隣のシェーンにちらっと視線を向けた。
「これ?これは今日の街かどコンサートで歌う予定だった歌で…」
 この曲好きなの。笑顔を見せ語るシェーンには、サングラスをかけたウィルの表情はわかりづらい。
「ウィルさんは背が高いのね」
 だからシェーンは、関係ない単語を重ねた。彼女はどことなく浮ついた様子で、いかにもご機嫌だ。
「やめた方がいい」
 ウィルはあまり感情のこもっていない、平坦な声で言った。シェーンはびっくりしてウィルを見上げるが、彼の意図はわからない。
「もっと大人しくしろってこと?確かによく言われるけど。でも」
「今は歌わない方がいい」
 ウィルは素っ気なくそう付け加えた。シェーンの顔から一気に表情がなくなる。
「それ、は……」
「歌にも言葉がある。特別な言葉を使えば、それはもう立派な呪い(まじない)だ。仮に言葉に力がなかったとしても、歌う方に力があったら同じ。だから、この街でこの時期に、滅多なことはしない方がいい」
 シェーンに興味があるのか無いのか、ウィルは落ち着いた声で喋る。言葉はウィルの口元で、生まれた端から消えていく。明るい往来に紛れた言葉は、人ごみに流されてもはや見出せない。
「私たちが……合唱団がユルバン公の幽霊を呼んだんでしょうか」
 シェーンは(珍しいことに)大人しく話を聞いていたが、やがてそう考えついたらしく、ぽつりと呟いた。
「シラネ」
 対してウィルはあっさりしたもので、シェーンを一蹴した。
エクソシストなのに」
「俺は悪魔専門だし、祓魔師の仕事はお歌に付き合うことじゃないね」
「ねぇ、だったら一つ聞きたいのだけど」
 それまでふざけているのか真剣なのか、テンポよく会話を進めていた二人であったが、シェーンはここで急に改まった口調になった。
「仕事なら金とるぞ」
「仕事じゃないんです、でもちょっとした質問」
 シェーンは露天に並んだ果物を一つ手に取ると、器用にも歩きながら精算した。
「さっき言ってましたよね。特別な言葉を使えば、歌もまじないになるって」
 そして突然、手に持っていた果物を隣に投げ渡す。
「その、『特別な言葉』って、例えば聖書に載っているようなもの、ですか?」
 ウィルは質問には答えず、先ほど反射的に受け取ってしまった果物を見て
「これは?」
 と返した。
「お心づけよ。友人の間柄にだって、親切は必要でしょう?」
 シェーンはにやりと笑って、そう言った。
「質問に答えて頂くなら、お礼はしなくっちゃ」
「友人になった覚えはないね」
「なら尚更よ。礼儀は重んじられるべきだわ」
 ウィルはしばらくその調子ではぐらかしていたが、やがて一口果物をかじった。
「聖書ってのは一種の聖典だ。それはそれで祈りではあるが、魔力を持つかっていうのはまた別だろ。その言葉が、言語って意味なら……また違うんじゃねぇ?」
 ウィルは相変わらず平坦な口調のまま説明した。サングラスの向こうの目元がどうなっているのか、シェーンからは伺い知れない。
「これで貸し借りナシだ」
 ウィルはそう言うと、今度は手で追い払うような仕草をした。
「案外優しいのね!ありがとうございます」
 シェーンはぺこりと頭を下げると、弾んだ声でそう告げた。
 そして往来の人ごみの中に、あっと言う間に紛れて消えた。
 
 
 
「あら、見つけたわ。オリヴィアさん、でしょ?」
 暖かい午後、まだ明るい広場で、オリヴィアは顔を上げた。
「シェーンさん」
 明るく弾んだ声の主は、顔を赤くし息を弾ませ、オリヴィアと彼女に抱えられているウサギのぬいぐるみに駆け寄ってきた。
「さっき、ロイさんにも会いましたよ」
 オリヴィアが報告すると、シェーンは少し驚いた顔をする。
「あらそう?何か話した?」
「少し……プリンセス・トルタの話や、シェーンさんのお話も」
「私?なんだか照れるね」
 シェーンは言葉を交わしながら、オリヴィアが腰かけているベンチの隣の席に座る。オリヴィアは少し驚いた顔をしたが、シェーンを拒む様子は見せなかった。
「私もね、さっきウィルさんに会ってきたよ」
「ウィルに?」
 オリヴィアは目を見開いた後、おずおずと尋ねる。
「あの、失礼、でしたか……?」
 その一言で、今までのオリヴィアの苦労が伺えるというものだ。シェーンは笑って答えた。
「礼儀正しくはなかったかもね!でもね、いろいろとヒントをくれた」
「ヒント?」
「今回の"ユルバン公の呪い"のこと。廃教会のパイプオルガン騒ぎは、一体何が原因なのか」
 シェーンはぐっと身を乗り出してオリヴィアに詰め寄る。オリヴィアは後悔した。前回決して入れまいと誓ったのに、彼女の「話したがりスイッチ」を入れてしまったのを感じたからだ。
「ウィルさんが話してくれた。歌は呪文になるときもある、って。でも何だか条件があるみたいで、普通に歌ってるだけじゃ呪文にはならない。何も起きない。特別な言葉か、人か、まあ両方が揃っていればもちろんなんだろうけど……とにかく、歌は力を持ってるんですって。それで、そこで問題なのは、その特別な何かが、今回の私たちの演奏に含まれてる可能性があるってこと、ウィルさんは『知らない』って言ってた。知らないってことは、でも、イエスでもノーでも無いってこと。あるいは、その判断がつけられないってこと。私達が原因じゃないかもしれないけど、でも、どこかに何かある。もしかしたら、本当にユルバン公の幽霊がいるのかも知れない。もうその教会が使われてないとも、パイプオルガンの調律が狂っているとも知らずに、呑気に弾いてるのかもしれない」
 シェーンは息を継ぐと、すっかり考え込んだ様子になってしまった。
「でも、彼が弾いてるのは、あ、いや、本当にユルバン公が弾いてるならってことだけど……レクイエムなんだよね。別名は『死者のためのミサ曲』って言うの。死者を弔うための曲だよ!?確かにフォーレが作曲したものは有名だけど、確かに稀代の名曲だと思うけど……さすがに縁起悪くない!?自分の命日迫ってるのにそれ弾きますか!?ユルバン公が好きだった曲なのは知ってるし、むしろだから私達もそれを歌って弔った方がいいのかなと、思ってたんだけど……」
 語りに語ったシェーンは、ようやく現実に引き戻されたような顔をしてオリヴィアから離れた。オリヴィアも、そして彼女に抱えられていたウサギのぬいぐるみも人知れず、ほっと息をついた。
「パイプオルガンだけでは、あの曲は完成しない。オーケストラに、合唱までついてるのに、何で……」
 オリヴィアは不安になってきた。シェーンが語りに語っている間はその勢いに圧倒されているだけだったが、今こうしてシェーンが黙り込んでしまうと、オリヴィアにも誰もいない廃教会で、調律の狂ったパイプオルガンを弾き続ける、孤独な幽霊の姿が見えてくるような気がしてしまうのだ。オリヴィアは不意にひどい雨風の夜、意思を持ったかのように窓の外に現れたクマのぬいぐるみを思い出してぞっとした。思わず腕の中のプリンセス・トルタを抱きしめる。クマにまつわる思い出はいろいろと良いこともあったが、それでもあの事件は思い出して気持ちの良いものではない。
「シェーンさん……」
 どうしたら良いのかわからずそっと呼んだオリヴィアに、シェーンは先ほどまでの考え込んで様子とは打って変わって明るい顔を向けた。
「教会行ってみようかな」
「ええっ!?」
 あまりにも唐突な申し出に、オリヴィアは面食らった。
「なーんて、冗談」
 明るく続けるシェーンに、オリヴィアは戸惑ってしまう。一体どれが冗談で、どれが本心なのだろうか。
 
 そのとき、夕暮れを告げる鐘が鳴った。
 
「ほら、もう遅いわ。今日はお別れしましょう。また会えるといいね」
 シェーンがオリヴィアに立つよう促す仕草をした。鐘に紛れて聞こえてくる、少し外れた音色が今日は一層不気味に思え、オリヴィアは足早にホテルへと戻った。

「死者のためのミサ」4.慈悲深きイエス

遅くなって大変申し訳ありません。4話です。概要やあらすじなどは、お手数ですがプロローグをご覧ください。
 
 
 
 
 
 
「だああああああああああっ」
 シェーンはウイークリーマンションの質素な部屋の中、叫びながらセミダブルのベッドに飛び込んだ。元々ベッドに座っていたロイは、今や大人しくベッドに寝っ転がっていたが、冷静にシェーンへと顔を向ける。
「納得できませんか」
 ロイが声をかけた先、彼のすぐ隣に細長く伸びたシェーンは、答えの代わりにうぅと唸った。
「どうしました?」
 優しく、いつもより少し高めの声は、シェーンより年下とは思えない包容力を発揮して、まるで親か兄のようにすら思えてくる。
「…わからない」
 シェーンは顔をベッドにうずめたまま言った。
「なんでこんなことになってるのか。なんで歌えないのか。わかんない」
 せっかくの休みにユルバンなんて遠くまで来た。フォーレの”レクイエム”だって大きな作品だから滅多にできない。いっぱい練習したのに。「ユルバン公の呪い」と呼ばれる怪奇現象により演奏会は中止、おまけに街角コンサートすら禁止されてしまった。歌うことを、許されない。なんて。
「シェーンさん歌うの大好きですもんね」
 いや。大好きなんてもんじゃない。シェーンにとって”ウタ”とは、「好き」とはちょっと違う。特段「好き」という訳でもない。むしろ上手い人と一緒に歌うと劣等感ばかり刺激されていき、苦しいとおもうことすらある。だが楽しくない訳ではない。作詞者の、作曲者の、そして音楽の妙を感じる度に、取り憑かれたように楽譜をめくった。あえて、「好き」に代わる言葉をあてるとするなら。
「逃げられないの。歌からは。」
 シェーンはさも神妙な様子を装って隣のロイに告げた。そう、逃げられないと言ったほうが正しいのだろう。
 
 
 つい先ほどのことである。この信じられないような状況を打破しようと、シェーンはこの部屋を訪れたウィルという青年に相談をした。プリンセス・トルタ曰く、アルビオンの祓魔師で実力は確からしい。蛇の道は蛇、だ。その道のプロに頼れ。シェーンは思い立ったら即行動するタイプだった。ところが。
「やだ」
 ウィルの返答は、単純かつ明快なものだった。
「あ、ダメですか。あはは」
 困ったときに笑ってごまかそうとしてしまうのは、シェーンのクセだ。良いクセではないのは自覚済み。
「俺は悪魔専門だから」
「ちょっと、少しは協力するとか、二人は恩人でしょう?」
 さっさと出ていくウィルの背中にオリヴィアが声をかけるが、時すでに遅し。答えの代わりにバタンという無機質な音が響く。プリンセス・トルタを抱えて、オリヴィアは深く一礼した。
「いつもウィルがすみません。でも、私もできることは協力したいです。また今度」
 ウィルを追ってオリヴィアも出ていく。そして二人が出て行った瞬間、シェーンはベッドに飛び込んだのだった。
 
 
「わかんない。なんで団員のみんなもしょうがないって受け入れちゃうのか。そもそも旧教会でパイプオルガンなんて弾いてるのは誰なのか。何故フォーレのレクイエムなのか。妨害なの?なんなの?もう、さ。訳わかんなくない!?」
 シェーンは半ばヤケクソになってベッドの上でごろごろと動き回る。寝床を荒らされたロイが無表情にシェーンを片手で抑えた。シェーンとロイ、二人の視線が本日初めて交差する。
「ご、ごめん」
 二人の状況は、大抵どちらかに分が悪い。今回はシェーンにいささか不利だったようだ。しかしこれで事件は解決、二人の雰囲気はいつもさっぱりしたものだった。
「あーもう人生うまくいかないし、爪切ろ」
「『人生が上手く行かないときは爪を切れ』っておばあちゃんが言ってたから?」
 シェーンのぼやきにロイが反応する。これはもういつもの関係。
「あ、それ嘘だから」
 しかしシェーンの一言に、ロイは戦慄する。
「嘘?」
「え、いやほら、『おばあちゃんが言ってた』って言うと、古くからの経験が活かされているっていうか、なんか説得力増すっていうか、知恵って感じするじゃん!?」
「信じてたのに…」
「ごめん」
 二人の状況は、大抵どちらかに分が悪い。今回はシェーンにいささか不利だったようだ。

「死者のためのミサ」3. 聖なるかな

遅くなりました。3話です。概要、あらすじ等はお手数ですがプロローグをご覧下さい。

 

 

 

ウィルとオリヴィアがシェーンたちに会った翌日。二人はシェーンとロイの宿まできていた。本来なら、昨日あのままシェーンとロイの部屋まで行き、無事にプリンセス・トルタを回収するはずだったのだが。

「シェーン!ロイ!団長が呼んでるぞ!」
昨日のやりとりの、すぐ後のことである。合唱団の団員らしき人が、二人を呼びに戻ってきた。
「えっ、あ、私達、今予定が……ロイ、ロイだけでも行っておいで」
「シェーン、シェーンもだ。悪いが、本番についての連絡を全員に直接したいらしい」
ロイだけを押し出すシェーンに、団員はきっぱりと首を振った。シェーンは困ったように、ウィルとオリヴィアに目を向ける。
「ほら、行けよ」
意外にも、そっけなくではあったがウィルが言う。シェーンはパッと笑顔になった。
「えっと、じゃあ、大変申し訳ありません…明日の10時に、またここで!」

こうして、ウィルとオリヴィアがプリンセス・トルタに再会するのは、一日延期となった訳である。二人がホテルへと戻る中、また例の古いオルガン曲が聞こえてくる。夕方の鐘に紛れて、少し調子外れな曲ではあったが、オリヴィアはやはりどこかで聞いたことがあるような気がするのであった。まあ、それはさておき。
「ようこそ!我々のしばしの宿へ!」
中央広場でシェーンとロイに再び会い、二人が借りているウィークリーマンションまで来た。清潔感はあるがあまりにも簡素な部屋で、オリヴィアはシェーンとロイが何を重視して部屋を選んだのかわかった気がした。そして、そんな簡素な部屋には少々不釣り合いな、真っ白なウサギのぬいぐるみ。
「プリンセス・トルタ!」
オリヴィアが駆け寄ると、プリンセス・トルタもぴょんと棚から降りてオリヴィアの胸元へ飛び込んだ。オリヴィアはゆっくりと、プリンセス・トルタの毛並みを撫でる。
「良かった……ほんとにオリヴィアに会えたよ……」
プリンセス・トルタが涙声で言うと、俺は?と言いたげな顔でウィルがチラッとプリンセス・トルタを見た。口に出さないのはシャクだからだろう。実際ウィルに口に出すほどプリンセス・トルタへの執着があるとも思えない。オリヴィアは大切な親友を抱きしめながらそう考えた。
「いやー、本当に一手目で上手く行くとは思わなかったんですよ。会えて何よりです」
シェーンはまるで自分のことのように嬉しそうな顔をしている。ロイはベッドに座って大人しくしており、男二人は若干蚊帳の外である。
「で?用はもう終わりな訳?」
「ちょっと、ウィル」
突っかかるようなウィルの言い方に思わずたしなめるオリヴィアだったが、シェーンは苦笑するだけだった。
「いいんです。実は、昨日までなら本当にこれだけで解散しちゃうか、せいぜい演奏会の宣伝をするだけにしよう。と、思ってたんですけど……」
困ったことになりまして、と言いながらもシェーンは、苦笑とは言え笑顔のままだ。
「演奏会、中止になっちゃったんですよ」
「ええっ!?」
「どうして?」
シェーンの一言に、オリヴィアとプリンセス・トルタが続けて声をあげる。
「いやあ、街がね、ユルバンから正式なお断りをもらったようで。それどころか、お昼の街角コンサートもやるなって言われちゃったんです。どうやら今度のイベント自体が中止になるようなんですね。キャンセル料って形で、当初予定されてた旅費の補助はもらったんですけどね。元から無償でやるはずだったし、そこらへんはトラブル無いんですが、旅券の関係で、あと何日か帰れないんですよ。暇になっちゃった訳でして」
えへへ、と笑いながらシェーンが言うが、それは一体どういうことなのだろうか。イベントとは、先日ホテルで聞いたユルバン公の追悼イベントではなかったのか。
「それは……一体……」
オリヴィアが慎重に聞くと、シェーンは困ったような笑顔のまま。
「オリヴィアさんはユルバンに来てから、夕方ごろに何か音を聞いたことはありますか?」
「ええ、夕方の教会の鐘の音。それから、古いオルガンの音を。どこかで聞いたことがあるような気がするけれど……」
シェーンの問いに、オリヴィアがゆっくりと答える。オリヴィアの視界の端で、ウィルが片眉を上げたような気がした。
「聞いたことがある?フォーレクですよ」
突然シェーンの更に後方から声が聞こえる。驚いたようなその声は、ロイの発したものだった。オリヴィアは上手く反応できず、固まってしまう。
フォーレク?」
「これは驚いた。フォーレの"レクイエム"なんて、なかなかメジャーな曲じゃないですよ。それをオルガンだけで当てるなんて」
ロイの言葉をただ繰り返したオリヴィアに対し、シェーンが関心を寄せた。
「レクイエム……昔何かの機会に、聞いた気がします」
オリヴィアがゆっくりと答える。幼い頃に父に連れられたコンサート。珍しく姉も調子が良く、大人しく聞いているだけだからと一緒に行った覚えがある。
「演奏会でも歌われる曲ですからね。クラシックにはお詳しい?」
「シェーンさん」
「あら失礼。話しすぎは良くないですね」
楽しそうに語り始めようとしたシェーンは、ロイの言葉にハッと我に返ったようだった。心から音楽を愛しているらしいシェーンの気持ちが伝わってくる。これは語り始めたら止まらないやつかもしれない。オリヴィアはシェーンのスイッチを入れない決意を固めた。
「えっとね、ごめんなさい。レクイエムはさっきも言った通り演奏会でも歌われる曲で、中でも"世界3大レクイエム"と言われるのものの一つが作曲家フォーレによるもの。それが最近、夕方の鐘くらいの時間に聞こえてくるんですけど……ちょっと調律が狂ってるんですよねえ。おかげで気分が悪いったら」
「シェーンさん」
「あら失礼」
再びの中断。
「でもこの街の教会、オルガン新しいらしいんですよねえ。調律だってきちんとしてるし。そもそも聞こえてくる音は、少し遠すぎる。街はずれくらいに、それこそユルバン公の時代くらいから使っていた旧教会があるらしいんですが、今は無人らしく」
シェーンは背筋を伸ばし直し、一息つくとオリヴィアを見つめ直した。
「ところでかのユルバン公は生前、非常に音楽を愛していらしたらしいんです。なんでも教会のパイプオルガンを弾ける実力があったのだとか。あれってそんな簡単に出来るもんじゃないですからね、すごいことだと思います。だからユルバン公の霊が、命日が近くなってきて化けて出て、旧教会のオルガンを弾いてるんじゃないか、って。それが"ユルバン公の呪い"って噂になってるから、街は躍起になったけれども流れてくるレクイエムは止まらず。結局直前になって、祟られる前にイベントは中止、って、そういうことらしいです」
おどけたように肩をすくめた、シェーンの語り。そういえばこの間、ウィルも言ってはいなかったか。"ユルバン公の呪い"という噂を聞いてきた、と。
「さっきも言った通り、私達暇になっちゃったんです。それが聞いてみれば、ユルバン公のせい。でも私達だって追悼のため、まさにそのフォーレの"レクイエム"を演奏予定だったんですよ!」
シェーンはそこで、オリヴィアの少し横へ、銀色の逆十字へと視線をずらした。
「これって、何とかなりますか?」
シェーンは、ウィルに問いかけた。

「死者のためのミサ」2.奉納唱

お待たせしました。2話です。概要等は、お手数ですがプロローグをご覧ください。

 

 

 
 
 
オリヴィアが部屋に戻ろうとすると、部屋の前でばったりウィルに会った。
「っ!今まで、どこに……」
言いかけてやめる。どうせ聞く意味など無い。その代わり二人とも一言も交わさずに、部屋へと入った。部屋に入るなりウィルの言葉など聞かず、オリヴィアは先ほどの伝言をウィルの目の前に突きつける。
「誘われてるわ。でも行こうと思うの」
「何の話だ」
ウィルはサングラス越しでもわかるほど眉間に皺を寄せ、紙を受け取る。しばらくして。
「これ、からかわれてんじゃねえ?」
「誰によ」
ウィルの他人事のような調子が気に入らなくて、オリヴィアは噛みついた。
「例えば、お前の父親を呼び出したお貴族様とか?あのウサ公を話で聞いたとかで知ってても不思議じゃないだろ」
「ユルバン公爵には私も父も初対面だわ。付き合いもなかったし、どうやってプリンセス・トルタのことを知るって言うのよ」
「あっそ……でもこれ、本当に手がかりになんのか?」
「そう仰るってことはさぞ核心に迫る手がかりを見つけて帰ってきたんでしょうね」
オリヴィアは皮肉たっぷりに言ったが、ウィルは意にも介さず返答する。
「いや?街中で歩く恐怖のウサギが出たかどうか探してみたけど、結局"ユルバン公の呪い"なんて言う噂しか聞けなかったぜ」
「意外。あなたプリンセス・トルタを探す為に聞き込みしてくれたのね」
「街を散歩して。おかげで不機嫌な社長令嬢サマよりは、楽しめたけど?」
最後の一言に思わずカチンときたオリヴィアは、ウィルの脛を思いっきり蹴りつけた。
「いってえ!」
「決まりね。明日はこの伝言の場所に行くわよ」
 
 
 
  次の日、ウィルとオリヴィアは中央広場にいた。街角演奏会にはちょっとした人だかりが出来ていて、人気の程が伺える。人だかりの中心には確かに十数人ほどの小集団があり、それが例の合唱団のようだ。中から一人が進み出て、簡単な口上を述べる。そして、演奏会が始まった。
 
  演奏会そのものはウィルには退屈だった。昔エドガーの教会で讃美歌ならよく聞いたが、それは本当に「聞いていた 」だけで音楽なんてわからないし、金と暇を持て余した人々の娯楽に価値も感じなかった。一方オリヴィアはそれなりに楽しんだ。音楽に関する素養はなくとも教養のあったオリヴィアは、神への讃歌やこの地の民謡を元にしたらしい数曲に聞き入った。演奏会が終わり、拍手と共に合唱団がお辞儀する。やがて群衆は去って、合唱団もバラバラと散ってゆく。(ウィルと)オリヴィアは、伝言の通り人ごみが引くまで、辛抱強く待った。やがて…
「うわあ。上手くいくとは思わなかった。オリヴィア…さんと、ウィルさんね?」
「何故私達の名前を?」
  若い男女の二人組が、こちらに近付いて来る。オリヴィアの問いに、女の方がチラッと荷物の中身を覗かせた。白いウサギの手が、こちらにひらひらと振られるのが見える。オリヴィアは思わず手を伸ばしたが、ウィルに止められた。
「教えてもらったんです。私はシェーン、伝言のメモを送った者です。こっちはロイ。同じ団の後輩です。良ければ私達の宿までいらっしゃいませんか?ゆっくりお話でもいかがでしょうか」
  女は驚くほど肝の据わった話し方で、こちらに笑顔を向けてくる。警戒心が無いというのもそうだろうが、人慣れしている。男の方は後ろで大人しくしているが、この女はどんどん話を進めてくる。オリヴィアは若干の不安を覚えた。悪い人では無さそうだ。だがこうも相手のペースに呑まれていいのだろうか……
「へぇ、おふたりの愛の巣まで案内してくれるってわけ?見せつけるねえ」
「ちょっと、ウィル」
 ウィルの唐突な冷やかしに、シェーンは口元だけ笑ったまま、固まってひょいと片方の眉をあげた。まずい。怒った。ちょっと放っておけばこれである。オリヴィアは、ウィルは意地悪しか暇つぶしが無いのかと頭を抱えたい気分だった。せっかく見つけた手がかりに逃げられる、と思った次の瞬間、聞こえたのは男の声。
「自分たち、そんなことのためにお呼びだてした訳じゃありません」
 見ればさっきまで大人しく後ろに立っているだけだったロイが、こちらをまっすぐに見ていた。なんだか、反応するべき人と無視するべき人が、ちぐはぐなような。オリヴィアは少しおかしくなって、ふふと笑った。
「ええ、ウィルがすみませんでした。お二人のお部屋まで、案内していただけますか?」