ホットミルクに角砂糖

Twitterにて山波 鈴(@yamanami_suzu)という名前で140字小説を投稿しております。少し長い文章や日常のお話など、いろいろと書きたくてブログを始めました。内容は基本的にTwitterのフォロワー様向けですが、どなた様もどうぞお気軽に覗いていって下さいませ。

「死者のためのミサ」5.神の子羊

遅くなって大変申し訳ありません。5話です。概要やあらすじなどは、お手数ですがプロローグをご覧ください。

 

 

 

 

「ねえ、ねぇったら!ウィルさん、ですよね?」
 明るい往来、弾んだような高い声にウィルは嫌々振り返る。
「あんたかよ…」
 ウィルにいかにも嫌そうな態度を取られて、最初に声を掛けた方は片眉を跳ね上げて不満を示した。だが不満は言わず、女はそのままウィルに駆け寄る。
「シェーンです。覚えてます?」
「一応な」
 一応、と言われても一向に傷付いた様子も見せず、女…シェーンは明るくウィルに話しかける。
「今日はオリヴィアちゃんはご一緒でない?」
「ああご一緒でないね。あいつにご用ならどうぞお引き取りを」
 ウィルは嫌味たっぷりに言うが、追い払うような素振りは見せない。シェーンもそれ以上はオリヴィアについて言及せず、平然とウィルについていった。
「あんた……変だな」
「ウィルさんよりはまともだと思ってます」
 二人は軽口を叩き合いながら、ぶらぶらと市場を練り歩いた。シェーンはときどき鼻歌まじりでいかにも楽しそうだったが、ついには小声で口ずさみはじめる。
 
「何て歌?」
 シェーンの声は弦のようにピンと張っていて、小声でもよく響く。ウィルは隣のシェーンにちらっと視線を向けた。
「これ?これは今日の街かどコンサートで歌う予定だった歌で…」
 この曲好きなの。笑顔を見せ語るシェーンには、サングラスをかけたウィルの表情はわかりづらい。
「ウィルさんは背が高いのね」
 だからシェーンは、関係ない単語を重ねた。彼女はどことなく浮ついた様子で、いかにもご機嫌だ。
「やめた方がいい」
 ウィルはあまり感情のこもっていない、平坦な声で言った。シェーンはびっくりしてウィルを見上げるが、彼の意図はわからない。
「もっと大人しくしろってこと?確かによく言われるけど。でも」
「今は歌わない方がいい」
 ウィルは素っ気なくそう付け加えた。シェーンの顔から一気に表情がなくなる。
「それ、は……」
「歌にも言葉がある。特別な言葉を使えば、それはもう立派な呪い(まじない)だ。仮に言葉に力がなかったとしても、歌う方に力があったら同じ。だから、この街でこの時期に、滅多なことはしない方がいい」
 シェーンに興味があるのか無いのか、ウィルは落ち着いた声で喋る。言葉はウィルの口元で、生まれた端から消えていく。明るい往来に紛れた言葉は、人ごみに流されてもはや見出せない。
「私たちが……合唱団がユルバン公の幽霊を呼んだんでしょうか」
 シェーンは(珍しいことに)大人しく話を聞いていたが、やがてそう考えついたらしく、ぽつりと呟いた。
「シラネ」
 対してウィルはあっさりしたもので、シェーンを一蹴した。
エクソシストなのに」
「俺は悪魔専門だし、祓魔師の仕事はお歌に付き合うことじゃないね」
「ねぇ、だったら一つ聞きたいのだけど」
 それまでふざけているのか真剣なのか、テンポよく会話を進めていた二人であったが、シェーンはここで急に改まった口調になった。
「仕事なら金とるぞ」
「仕事じゃないんです、でもちょっとした質問」
 シェーンは露天に並んだ果物を一つ手に取ると、器用にも歩きながら精算した。
「さっき言ってましたよね。特別な言葉を使えば、歌もまじないになるって」
 そして突然、手に持っていた果物を隣に投げ渡す。
「その、『特別な言葉』って、例えば聖書に載っているようなもの、ですか?」
 ウィルは質問には答えず、先ほど反射的に受け取ってしまった果物を見て
「これは?」
 と返した。
「お心づけよ。友人の間柄にだって、親切は必要でしょう?」
 シェーンはにやりと笑って、そう言った。
「質問に答えて頂くなら、お礼はしなくっちゃ」
「友人になった覚えはないね」
「なら尚更よ。礼儀は重んじられるべきだわ」
 ウィルはしばらくその調子ではぐらかしていたが、やがて一口果物をかじった。
「聖書ってのは一種の聖典だ。それはそれで祈りではあるが、魔力を持つかっていうのはまた別だろ。その言葉が、言語って意味なら……また違うんじゃねぇ?」
 ウィルは相変わらず平坦な口調のまま説明した。サングラスの向こうの目元がどうなっているのか、シェーンからは伺い知れない。
「これで貸し借りナシだ」
 ウィルはそう言うと、今度は手で追い払うような仕草をした。
「案外優しいのね!ありがとうございます」
 シェーンはぺこりと頭を下げると、弾んだ声でそう告げた。
 そして往来の人ごみの中に、あっと言う間に紛れて消えた。
 
 
 
「あら、見つけたわ。オリヴィアさん、でしょ?」
 暖かい午後、まだ明るい広場で、オリヴィアは顔を上げた。
「シェーンさん」
 明るく弾んだ声の主は、顔を赤くし息を弾ませ、オリヴィアと彼女に抱えられているウサギのぬいぐるみに駆け寄ってきた。
「さっき、ロイさんにも会いましたよ」
 オリヴィアが報告すると、シェーンは少し驚いた顔をする。
「あらそう?何か話した?」
「少し……プリンセス・トルタの話や、シェーンさんのお話も」
「私?なんだか照れるね」
 シェーンは言葉を交わしながら、オリヴィアが腰かけているベンチの隣の席に座る。オリヴィアは少し驚いた顔をしたが、シェーンを拒む様子は見せなかった。
「私もね、さっきウィルさんに会ってきたよ」
「ウィルに?」
 オリヴィアは目を見開いた後、おずおずと尋ねる。
「あの、失礼、でしたか……?」
 その一言で、今までのオリヴィアの苦労が伺えるというものだ。シェーンは笑って答えた。
「礼儀正しくはなかったかもね!でもね、いろいろとヒントをくれた」
「ヒント?」
「今回の"ユルバン公の呪い"のこと。廃教会のパイプオルガン騒ぎは、一体何が原因なのか」
 シェーンはぐっと身を乗り出してオリヴィアに詰め寄る。オリヴィアは後悔した。前回決して入れまいと誓ったのに、彼女の「話したがりスイッチ」を入れてしまったのを感じたからだ。
「ウィルさんが話してくれた。歌は呪文になるときもある、って。でも何だか条件があるみたいで、普通に歌ってるだけじゃ呪文にはならない。何も起きない。特別な言葉か、人か、まあ両方が揃っていればもちろんなんだろうけど……とにかく、歌は力を持ってるんですって。それで、そこで問題なのは、その特別な何かが、今回の私たちの演奏に含まれてる可能性があるってこと、ウィルさんは『知らない』って言ってた。知らないってことは、でも、イエスでもノーでも無いってこと。あるいは、その判断がつけられないってこと。私達が原因じゃないかもしれないけど、でも、どこかに何かある。もしかしたら、本当にユルバン公の幽霊がいるのかも知れない。もうその教会が使われてないとも、パイプオルガンの調律が狂っているとも知らずに、呑気に弾いてるのかもしれない」
 シェーンは息を継ぐと、すっかり考え込んだ様子になってしまった。
「でも、彼が弾いてるのは、あ、いや、本当にユルバン公が弾いてるならってことだけど……レクイエムなんだよね。別名は『死者のためのミサ曲』って言うの。死者を弔うための曲だよ!?確かにフォーレが作曲したものは有名だけど、確かに稀代の名曲だと思うけど……さすがに縁起悪くない!?自分の命日迫ってるのにそれ弾きますか!?ユルバン公が好きだった曲なのは知ってるし、むしろだから私達もそれを歌って弔った方がいいのかなと、思ってたんだけど……」
 語りに語ったシェーンは、ようやく現実に引き戻されたような顔をしてオリヴィアから離れた。オリヴィアも、そして彼女に抱えられていたウサギのぬいぐるみも人知れず、ほっと息をついた。
「パイプオルガンだけでは、あの曲は完成しない。オーケストラに、合唱までついてるのに、何で……」
 オリヴィアは不安になってきた。シェーンが語りに語っている間はその勢いに圧倒されているだけだったが、今こうしてシェーンが黙り込んでしまうと、オリヴィアにも誰もいない廃教会で、調律の狂ったパイプオルガンを弾き続ける、孤独な幽霊の姿が見えてくるような気がしてしまうのだ。オリヴィアは不意にひどい雨風の夜、意思を持ったかのように窓の外に現れたクマのぬいぐるみを思い出してぞっとした。思わず腕の中のプリンセス・トルタを抱きしめる。クマにまつわる思い出はいろいろと良いこともあったが、それでもあの事件は思い出して気持ちの良いものではない。
「シェーンさん……」
 どうしたら良いのかわからずそっと呼んだオリヴィアに、シェーンは先ほどまでの考え込んで様子とは打って変わって明るい顔を向けた。
「教会行ってみようかな」
「ええっ!?」
 あまりにも唐突な申し出に、オリヴィアは面食らった。
「なーんて、冗談」
 明るく続けるシェーンに、オリヴィアは戸惑ってしまう。一体どれが冗談で、どれが本心なのだろうか。
 
 そのとき、夕暮れを告げる鐘が鳴った。
 
「ほら、もう遅いわ。今日はお別れしましょう。また会えるといいね」
 シェーンがオリヴィアに立つよう促す仕草をした。鐘に紛れて聞こえてくる、少し外れた音色が今日は一層不気味に思え、オリヴィアは足早にホテルへと戻った。