ホットミルクに角砂糖

Twitterにて山波 鈴(@yamanami_suzu)という名前で140字小説を投稿しております。少し長い文章や日常のお話など、いろいろと書きたくてブログを始めました。内容は基本的にTwitterのフォロワー様向けですが、どなた様もどうぞお気軽に覗いていって下さいませ。

「死者のためのミサ」6.解放せよ

お待たせしております。6話です。概要やあらすじは、お手数ですがプロローグからご覧下さい。

 

 

 

 

 シェーンがウィルとオリヴィアのそれぞれに会って話をした、その次の日のこと。オリヴィアはすっかり忘れていたことを思い出した。ユルバン公爵家の舞踏会である。プリンセス・トルタの失踪やシェーンとロイとの出会い、”ユルバン公の呪い”騒ぎで忘れていたが、公爵家の舞踏会は明晩に迫っていた。街は”呪い”で大騒ぎ、追悼式も中止となったが、あのイベントはユルバンという街企画・運営しているもので公爵家が主催しているのではないらしい。今回の舞踏会はユルバン公とは特段関係無いこともあり、公爵家は舞踏会を決行することにしたらしい。オリヴィアにしてみれば、祟りだなんだと先祖が取り沙汰されているときに社交のためのパーティーを開くだなんて……と疑問に思うところもあるのだが。とにかく中止にしてくれないのであればオリヴィアは行くしかない。しかしこれも忘れていたことではあるが、オリヴィアのパートナー候補はすっかり舞踏会に行く気をなくしていたのだった。
「ねぇ、やっぱり……ダメ、よね」
「何の話だ。主語がねぇ」
 ゆっくりと尋ねたオリヴィアを一刀両断したウィルは、いつものことだがな、と心の中で付け加える。ウィルの考えるオリヴィアの悪い癖は、会話に度々主語が抜けてしまうところだった。……あとはまぁ、嘘が下手くそなところ?ウィルはそこまで考えて、オリヴィアに視線を向ける。
「毎日毎日、あのオルガンはいつまで鳴るんだ。レクイエムってクソ長ぇの?」
「えっ?」
 赤い、赤い瞳。サングラスを外したウィルの顔がこちらを向いて、赤いその目にオリヴィアの真っ赤な夕暮れに自分が一人佇んでいるような気さえして、オリヴィアはまじまじとウィルを、その瞳を見つめてしまった。
「……さあ、昔聞いたときは確かに長く感じたわ。でもそのときは子供だったからかもしれないし」
 幾分間をあけたにも関わらずはっきりしない返答になってしまったが、それでもオリヴィアは返事をした。
「ふーん」
 自ら聞いた割にはつまらなそうなウィルの反応。だが話はそこで終わらなかった。
「じゃあ、行ってみる?」
「あなた、私が今何に悩んでいると……いいえ、何でもないわ。呆れた。」
 オリヴィアの溜め息に、ウィルはニヤリと笑いを返す。

「決行は今夜だな」

「はい?」
 ともすればわざとらしいほどに疑念を込めた顔と声で、ロイはシェーンへと聞き返す。
「決行は今夜だな!」
同じ言葉をシェーンは繰り返す。今は穏やかな昼下がり。二人の部屋でいろいろと並べながら、シェーンは張り切った様子だ。
「何をするつもりなんですか」
 ロイはほとんど一日中過ごしている彼の安住の地、ベッドの上から問いかける。
「なんもしないって!ただ行って、ちょーっと聞いてくるだけ」
 シェーンは懐中電灯や地図、それに何故か楽譜などを確認し、リュックへと詰めていく。午前中忙しそうに買い出ししていたのはこのためか。いや、そもそも昨晩、ウィルやオリヴィアに会ったのだと言いながら考え込んでいたときから、彼女の壮大な暇つぶし計画は始まっていたのかもしれない。
「何故楽譜を」
「だって、パイプオルガンだけじゃ、今どこを弾いてるのかわからないから」
「それで決行は今夜ですか」
「今夜っていうか、いつも夕方の鐘のときに聞こえてくるから、もう少ししたら行くわ」
 あっさりとそう言い放つシェーン。基本的にシェーンが何をしようと、ロイはじっと動かないことをよく知っているからだった。シェーンが包丁で指を切ったときも、微動だにせず安住の地で寝転んでいたのにはさすがに腹が立ったが……まあ、今はそんなこと関係ない。
「旧教会の跡地まで行くんですか」
「うん。遅くなるかも。早く帰ってくるかも。」
いささか雑な返答をしたシェーンの後ろで、ロイがもそもそと着替えを始めた。シェーンより手早く出掛け支度を済ませたロイが、黙ってシェーンの後ろに立つ。
「ど、どこ行くの?」
「シェーンさんと一緒に行こうかと」
「それホントに言ってるの……?」
「まあたまには」
さあ、遅れますよ。そうロイに促され、シェーンは部屋を出ると鍵をかけた。
夕方の鐘までは、まだ少し時間がある。二人は旧教会跡地、つまり例の廃教会を目指してのんびりと出発した。
「窓閉めたっけ」
「元から開けてないですよ」
「カギ閉めたよね?」
「シェーンさんが閉めたでしょ」
「いや、なんか不安になってきちゃって」
 二人は歩きながらフォーレの「レクイエム」を復習する。レクイエムというのは一つの作品ではあるが、その中身は何曲もある組曲の形式をとる。フォーレが作曲したレクイエムは全部で七曲あり、今までの”呪い”騒ぎではきっちり一日一曲演奏されているようだ。ようだ、というのは、パイプオルガンのパートだけでは、やはりイマイチ判断がつかないからであった。しかし一日一曲の計算でいけば本日は六曲目が、そして明日の夕方に最後の曲が演奏されるはずであった。
「ところでシェーンさん」
「なんだねロイよ」
「なんでズーデン先輩の燕尾服を持ってきてたんですか?」
「持ってないよ?」
「いや、さっき持ってきて部屋に置いといたじゃないですか」
 ズーデンというのはシェーンやロイと共にユルバンを訪れている合唱団の一員で、ロイをはるかに上回る身長と渋い低音の声、それからちょっぴり赤いほっぺ(シェーンのイチオシポイントであるらしい)が特徴の好青年だ。今日の昼ごろ買い出しから帰ってきたシェーンは、燕尾服一式を持っていた。ロイが「それはどうしたのか」と尋ねたら、「ズーデンから借りた」のだと答えていた。
「あれはね、まぁ、明日用?」
 シェーンの反応は曖昧だった。
「明日?」
「明日になればわかるって。あ、ロイ、明日蝶タイ貸して」
「はあ、どうぞ」
 彼女に燕尾服が必要な用事があるとは思えないが、ロイは承諾した。元々は明日行われるはずだった本番の衣装として持ってきたものだ。つまりは、燕尾服に関して言えば、ロイも持っている。それをどうして、わざわざズーデンのものを。しかも蝶ネクタイだけはロイのものを借りるという。ロイが混乱している内に、二人は廃教会へとたどり着き、おしゃべりはそれまでとなった。
 その教会は中世から存在している古いものだったが、その古さゆえにほとんど崩れかかっていると言ってもいいくらいにボロボロだった。恐る恐る中に入ってみると、ホコリだらけではあったが、意外にも雨風をしのげそうな建物ではあった。
「とにかく、誰かが弾かなきゃオルガンは鳴らないわ」
「ねぇシェーンさん、ユルバンの幽霊に足はありますか」
「は?」
 ロイに問われ足元を見ると、ホコリだらけの床には足跡がついていた。それはあっちへ行ったりこっちへ来たりしていたが、パイプオルガンへと続く階段の方へも伸びていた。
「足のある幽霊が、入り浸ってるのかもしれませんね?」
「バカおっしゃい。誰かが出入りしてるのよ。生きている人間が」

 次の瞬間、ボーッとパイプオルガンの音が響き渡った。

「「わあああああああああっ!?」」

 二人は叫び、反射的に上を、パイプオルガンの奏者席を見た。すると、いたのだ。さっきまで誰もいなかったはずの奏者席に、黒い後ろ姿が……と思うと、その隣にも人影がひょっこりと現れた。
「シェーンさん、ロイさん!」
「オ、オリヴィアちゃん!?」
 その人影が発した声に、シェーンは昨日まで「さん」付けしていたことも忘れて声をかける。なるほどさっきまでだれもいなかった訳ではなく、ウィルとオリヴィアがしゃがんでいたので見えなかったのだった。シェーンとロイは階段を昇らず、祭壇のあたりまで進んで上を見上げながら話した。
「来てたんですか」
 ロイが声をかける。
「暇つぶし。本当に音が鳴るんだな、コレ」
 ウィルが応じる。
「いや、パイプオルガンはそこを弾いただけじゃ鳴りません。空気を送らなくっちゃ。送風装置が機能しているとは思えないのに不思議だわ」
 シェーンが疑問を口にする。
「私たちが到着したときに一通り見て回りましたが、他には誰もいないようでした。それどころかもうずっと、人が出入りしていた様子はありません」
 オリヴィアの報告。それに答えようとシェーンが口を開いた、そのとき。教会全体に響くような轟音が音という音を塞いだ。
「ちょっと、ウィルさん!?」
「俺じゃねーよ!」
 やっと声が届くようになりシェーンが困惑しながら叫んだが、答えるウィルも同じくらい困惑していた。やりとりの間も音は止まらない。パイプオルガンはひとりでにリズムをつけ始め、何やら曲のような様相を呈してきた。外からは鐘の音も聞こえてくる。
「始まった!今日の演奏が始まったんだよ!」
 オリヴィアの腕の中から、プリンセス・トルタが叫ぶ。
「でも、誰もいないのに!」
 演奏に負けじとオリヴィアが言った通り、奏者席には誰も座ってはいなかった。目に見える奏者は、誰も。
「ど、どうすればいいの!?」
 シェーンはウィルに向かって叫ぶ。ウィルはちらっと奏者席を見たが、一瞬で判断した。
「これは悪魔じゃない!そんなに悪さもしちゃねぇし……だから、お前らがやれ!」
「はぁ!?」
「俺にもやり方は無くはないが、お前ら、この曲わかるんだろ!?」
「何を言ってるの!?」
 混乱するシェーンにウィルは尚も叫ぼうとする。しかしそれより先に、ロイがシェーンのリュックを開ける。
「ロイ!」
「シェーンさん。早くしないと曲が終わっちゃいますよ」
 ロイはシェーンのリュックから引っ張り出した楽譜をめくる。
「今日は六曲目、でしょ?」
 そして自分のカバンをどさりと床に下ろすと、息を吸って歌いだした。

 ロイの歌声はまるで液体のような密度がある。不思議な声だ。そしてひとところに留まらず、ゆらゆらと揺れる水のような声だった。その声で高く、低く、パイプオルガンについていくように歌う。ロイの歌にハッとしたシェーンは、自分も同じようにリュックを下ろすと、楽譜を覗き込んだ。
 シェーンのピンと張った弦のような声が、普段の彼女からは考えられないほど低く、導くように歌い上げてゆく。一番響く立ち位置を見つけた二人は、死からの解放を願う歌詞を歌う。
 二人の声が同じ旋律を歌う。たった二人ではパイプオルガンの轟音に適わないと思っていたが、そんなことはなかった。二人とも歌声はよく通るほうであったし、それにパイプオルガンの音も、心もち小さくなった気がした。

 曲は静かに終わった。二人はほっと息をつき、プリンセス・トルタとオリヴィアの拍手が降ってくる。しかしほどなくしてまた鳴り始めた音に、シェーンとロイ、ウィルとオリヴィアは驚いて顔を見合わせる。
「二曲目!?嘘でしょ、だってこれまで……」
 シェーンは言いかけて止まった。ちらりと奏者席を振り返ると、ためらうことなく前へ出る。この曲は女声の旋律から始まるのだ。

 天使の旋律と思えるほどの甘やかなメロディーにできるだけふさわしくなるよう、シェーンはホコリっぽい空気を必死に吸っては歌う。ユルバン公の時代では女声ではなくボーイソプラノだったかもしれないが、今この場でこれだけの高音が出て、この曲を歌えるのはシェーンだけだ。シェーンは歌った。ボロボロの教会が彼女のホール、幽霊のパイプオルガンが伴奏だ。しかし、彼女はそれでも一人ではない。ロイの声が優しく合流し、二人の歌はゆっくりと高音から低音へと降りてくる。そう、ちょうどいい共演者もいる。そして、ウィルとオリヴィア、プリンセス・トルタが観客だ。今までで一番奇妙なコンサートが、終わろうとしている。

 二人が声をそろえて最後の言葉を歌った。するとパイプオルガンも「チャーン」と柔らかな和音を二人の声に添えて曲を締めた。
「やったじゃん」
 ウィルがこちらを見下ろして言った。廃教会のパイプオルガンは、その後いくらいじっても、もう音は鳴らなかった。